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    高いものを目指す

    2017.04.01 09:10|インスピレーション
    槍が岳 


    常に高いものを目指す事。

    過ぎ去った事、低いものを見ていてはいけない。

    それは自分を低い所に留めることになる。

    過去の事や嫌な事を回想する暇があるなら先のもの、高いものを見ていくように。

    コメント

    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    シルバーバーチが言う善悪は並列的で左右に並ぶようなものではないということを言っています。

    霊的成長によって善悪が変わってきて、霊的成長の低いころに悪でなかったことが霊的成長をすることによって悪になってしまいますよね。

    「常に高いものを目指す」と、良心というハードルがどんどん高くなってしまい、大変な苦しみを味わいますね。

    昔は何とも思わず許していたことが今では許せなくなることがよくあります。

    さらに霊的成長するための試練ですね。


    No title

    コバチャン本舗 さん

    確かにそうですね。昔は見る目がなかったので分からなかったという事でしょう。
    その人物の物差しのレベルは昔と今とでは違います。

    わかるようになったという事はこの世に生まれてきた目的を達成できつつあると考えていいのではないでしょうか。

    人間は同じところに留まっていられないようになっています。
    際限のない成長、進化の種子が植え付けられているのですね。

    Be in the wolrd, not of wolrd

    大空様 お久しぶりです。いつも感謝をしております。

     「高いものを目指す」のタイトルを私ながらの解釈で「俗世二あって。俗人となるなか」(イエス)と置き換えてみました。なるほど正も邪も、悪も善も混然一体となった地上にあっては、そうであらなければならない――と得心がいきました。

     さらに俗世を「肉主霊従」に俗人となるなかれを「霊主肉従」に置き換えてみました。そうしたらマスコミなどで常套句になっている事件事故の際に用いられる「命に
    別状ありません」の「イノチ」の解釈が俗世的には正当であっても霊寿肉従の観点からは陳腐なもの、としか見えなくなりました。
     
     さらに私事ですが、シルバー・バーチの言う「個性をもって地上に生まれた以上、暗さも明るさも、病気も健康も、克服しなければ真の意味の霊的成長はない、との真意が何となく理解できるようになりました。

     俗世にあっては楽をして目的を達成すること、モノ、カネこそが幸せのバロメーターのように喧伝しますが、全く価値判断が逆転してしまいました。

     地上世界を終えて行く次の世で惑いなく暮らしていける「基本」がこの俗世に仕組まれていることを実感し、雄大な計らいに感謝を捧げずにはおれません。

    Be in the world, but not of world .

    (俗世にあって俗人になるなかれ)=イエス

     殴り書きで誤字脱字がありましたので、追伸を送信させて頂きます。

     個性として表現されているこの地上人生はコンピューターの初期設定とたとえていいのではないでしょうか。

     霊そのものは完全無欠ですけど、固体として出生したとたん試行錯誤したり、インストールしたり、ときにはウイルスに冒されたり。低級霊の憑依現象がウイルスと思えば、理解しやすいのでは‥な~んて思ったりします。

     いずれにしても霊的成長こそが最大のテーマですね。

     ありがとうございます。

    No title

    kuny さん

    お久しぶりです。
    この世においては数々の体験の中から見る目を養い、霊的視点から価値判断して行くことに意味があるのでしょう。感情移入し過ぎると一つ一つの出来事に振り回されるだけになってしまいます。

    私たちはこの世を旅する旅人であり、この世はずっと住み続ける場所ではないのですから様々な出来事に対する過度の執着を捨ててサラリと生きられたらいいですね。執着したところで私たちには事の全容は見えないのですから自分をその場に留めてしまうことになります。

    またあちらに行ってからは執着心が強い人ほど前を向いて進みにくいでしょう。この世にいるうちに心の整理をしておくことが大切ではないかと思っています。
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