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    霊的成長の目安

    2018.06.03 09:41|インスピレーション


    霊の貯蔵庫にはこれまでの人生の全てのものが蓄えられている。忘れていたはずのものが不意に出て来る事を見ればそれが実感できるだろう。何一つ消え去るものは無い。

     

    霊的成長に伴い過去の嫌な思い出は顔を出さなくなってくるが、それは自分の意識の焦点が低いものに合わなくなった事を意味する。成長すればする程、高いものを追い求めて行くようになるのでそういう事が起きるが、一時的に低い所へ引き戻されることもある。

     

    しかしそれはほんの一時の事、すぐに高い所に戻ることが出来る。そういう現象は自身の霊的成長の目安となるであろう。





    コメント

    無知と未熟の狭間で

    大空様 いつもありがとうございます。

     かつてインディビジュアリティー(霊的統一体)の自分が新たな霊的成長をテーマに霊界の諸同輩に分かれを告げ、テーマにふさわしい家系を選んで地上に誕生
    し、良くも悪くもパーソナリティーを磨いて霊界に帰ると家系の諸先祖には霊界
    に帰った霊体はわかるのは当然ですが、誕生以前に地上へ出向く自分を送ってく
    れた霊人たちには、どうして、それが地上へ送った者と分かるのでしょうか?
     
     送られた霊が再度帰ったときは新たな霊体となっているはずなのに? と地上にいるからこそ理解できないと思いますけど、このところの悩みのタネとなっているのです。

     昭和の昔、片岡千恵蔵扮する多羅尾判内シリーズがありました。「あるときは片目の運転手、あるときは手品好きのキザな紳士……」というように「七つの顔を持つ」多羅尾判内のようなのがインディジジュアリティーとしての自分なのかな? など判然としません。

     シルバー・バーチの霊訓の書き出しである「あなたとはいったい何者か」から立ち止まっているのです。

    No title

    kuny さん

    お久しぶりです。お元気でしたか?
    再生に関する問題ですね。
    今のスピリチュアリズムでは以下のような見解となっているようです。

    現在地上で自己を表現しているものが personality であり、これはこの世限りのもので死後は消滅します。それがそのまま霊界に帰っていくのではなく幽界を通過してこの世で蓄積した不要な堆積物を浄化しながら帰っていきます。霊界に帰還したその霊魂はこの世にいた当時に比べて煩悩が取れているので、あちらから通信を受けるとあたかも悟った人のように感じるのだと思います。

    霊界の諸同輩とは類魂のことを意味するのかなと想像します。類魂は自分と同レベルの霊魂の集まりで、守護霊はそこから派遣されますから霊格は同等です。しかし肉体が無い分高い所から物事を見られるので付いた者の指導が出来るというわけです。
    類魂のメンバーは地上に行った仲間のことは全て把握しているでしょうからその仲間が帰還することは分かっているはずです。地上人生を終える時期も把握しているでしょう。

    Individualityとは霊魂としての自分の本体でありその中の一部が肉体に宿って地上人生を送ります。その上、肉体の影響を受けて不完全な形で自己が表現されているのでこの世の人間は出来が悪いということになるのでしょう。

    こんな説明でよろしいでしょうか?
    私も不完全な人間ですから。
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