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    信長公廟(京都本能寺)

    2019.01.09 10:25|体験集
    IMG_7310.jpg


    私は2005年の暮に西国巡礼の際に京都を訪れたことがあったが、去年の暮にふと京都に行きたくなり、その時の記憶を頼りに娘と共に京都に行ってみた。南禅寺、知恩院、高台寺(最近の記事にこれらの写真を掲載)、それから霊山の歴史資料館などを見た翌日に本能寺に寄ってみた。本能寺はその時にも訪れているが、歴史上有名な本能寺の変があった場所には碑があるだけで、その後豊臣秀吉によって現在の場所に移されている。そこには信長公の廟があり家臣たちと共に奉られている。信長公愛用の刀もそこに埋葬されているとのことである。この場所は寺の奥にあって後ろは建物が迫り、スペースも狭く目立たない。観光客も殆ど来ることはなく静かな場所である

     

    その廟の前に立つとかなり強いエネルギーを感じるのでこれは何だろうと思ったがその内容はよくわからない。手の平やつま先の痺れとして感じるので霊的エネルギーには違いない。その時にはどういう意味があるのかわからなかったが帰路のフェリーの中で娘の撮った写真を見るとやはり手の痺れを覚えたのでこれは唯ものではないような感じがした。

    年も明けて昨日ふとパソコンに入れたその写真を見てみたらやはりその時のエネルギーが出ているのでちょっと瞑想してみた。すると数秒後に次のような内容のものがインスピレーションとして感じ取れた。

     

    「人々が無益な争いをしないように、ここにある廟にはそういう願いが込められている。信長公を敬ったり祭り上げたりする為のものではない。人間が殺し合いをしたり、権力闘争をしたりすることを諌めるためにこの廟はある」。

     

    やはり歴史上の遺物にはそれなりの意味がありそれぞれのエネルギーが込められているようである。本能寺の変から400年以上が経過しているが、日本史に大きな足跡を残した織田信長公の遺物やシンボルには強いエネルギーが今もこの地上世界に残っているということかもしれない。尚このメッセージの出所は私の指導霊ではないかと感じている。

     

    先人たちが苦労の末に道を切り開いてくれたから今のあなた達があるのです。

     

    今回の小旅行によってこのシルバーバーチの言葉を実感することが出来た。何事も本を読んだだけでは本当に身に付いたものにはならない。実際に体験をして初めて身に付いたものになると思うのである。

    以下は本能寺へのリンクです。
    織田信長と本能寺




    追記
    今回は12年前に西国巡礼の際に利用した四条のホテルにあえて宿泊してみた。理由はその時そのホテルの大浴場で私が観音経を唱えていたらそれに合わせて鐘が鳴ったというエピソードがあったので今回それを改めて検証してみようと考えたからである。結果は男性用の浴室が改修工事で使用禁止になっており、残念なことにそれは叶わなかった。当時は私はまだ十分に体力があり京都市内にある西国の札所を歩いて回ったものである。今は体力低下と共に目眩などの持病もあり歩くのが遅い。そしてホテルに忘れ物をする事も多く一抹の不安があるので娘に同行してもらった次第である。

    以下は旧ホームページのその時の記事です。
    西国巡礼で(鳴る鐘)

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