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    2012.12.17 15:40|夢の話
     

    最近私は一段と夢をみるようになってきた。昨夜の夢は興味深く心に残った。私は一人で両側に木の塀が立ち並んだ道を歩いている。東京の神楽坂や京都の祇園に行くと芸者置屋が並んでいる所があるが、丁度そういう感じのところである。ふと見ると見知らぬおばあさんが立っていて私に話しかけてきたのである。「あなたに会いたがっている人がいますよ」と言う。

     

    するとそこに年齢は定かでないが若い女性が立っていた。そこで彼女と色々会話を交わしたがその内容は一部しか思い出せないがその人は私の来るのをずっと待っていたらしい。彼女は長い間とても悲しい事があってそれを理解してくれる人を探していたように思えた。そこで私は彼女の手を引いてそのあたりを一緒に歩いたり乗り物に乗ったりして楽しい一時を過ごしたのである。その乗り物は自転車のようでもありオートバイのようでもありどこにでも自由に行ける。私は後ろに彼女を乗せて方々を走り回り二人は時を忘れて楽しんだのである。しかし彼女の手がやけに冷たかったことが印象に残っていて明らかにこの世の人ではないなとその時自分ながらに確信していた。

     

    それは最近の寒さで自分の手が冷たくなっていることを常に意識しているのでその影響かもしれない。そうするうちに彼女は私の傍からいなくなっていて夢もそこで終わっていたようであった。これは自分が勝手に思っているだけかもしれないが、私は幽界にいるその女性と会って慰める役を与えられたのかもしれない。色々と楽しく遊ぶことは若い時から得意だったから。これは遊ぶことが得意だったお前にふさわしい役だから行きなさいという事だったのか。今は仕事もしていないしこういう楽しい役ならいくらでも引き受けますよと言いたいところだが、あまり調子に乗ると叱られそうである。

     

    こういう夢ではなく寝入り際や、朝布団の中でまどろんでいる時に人々の姿や顔が非常に鮮明に見えることがよくある。彼らは今までに全く見たことのない人達であり、その場も非常に明るくて輝いている。そこは光線の種類が違っているようで、その光景を言葉で言い表わすことは難しい。そしてそれに焦点を合わせようとすると見えなくなってしまう。とにかくそこに意識を集中しようとするとピントが合わなくなってしまう。そういう操作をするということは五感を発動してしまうようである。五感で捉えられないものは無理に見ようとすると見えなくなってしまうのである。多分霊界がちょっと見えているのだろうと思う。一般的に霊界といえばぼんやりと薄暗い所をイメージする人が多いだろうが実際はこの世よりもはるかに明るく清々しい所のようである。しかし一瞬でもそういうものが見られるのは幸せなことである。自分が次に行くところが実感出来、死は恐怖ではなくむしろ希望として感じられるからである。

     

    あまりこういう話を公表すると医学界はもとより識者とされる人達から精神病者扱いをされかねないので注意を要する。私は理解してくれそうと感じる人以外にこういう話はしない

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    Re: タイトルなし

    さくらさん
    私のページを見て頂きありがとうございます。例年秋から冬にかけて他界する人が多いですね。
    一方昔から男性の厄年は42歳とされていますが確かにそれは肉体的、精神的に一つの節目になっているのでしょう。大多数の人はこの世での自分の寿命を定めてきた通りに真っ当していくのでしょうから本当は早すぎる死というものはないのではないかと思っています。こういう考え方は世間では理解してくれないでしょうけど。

    病死の場合は考える時間が十分にあり心の準備もそれなりに出来るでしょうから死後の目覚めは早いと思います。この世で生き抜くことは本当に修業だと思います。嬉しいことがあったと思う間もなく心を悩ます問題が起きてそれを解決するとまた新たな問題が起きてきます。それは仕事をしていてもリタイアしても変わりません。今回仕事を辞めて初めて分かりました。

    亡くなった人たちはそういう宿命的なこの世の悩みから解放され、お金や健康やその他ややこしい人間関係に悩まされることがありません。最初のうちはこの世特有のそういうものがついてくるかもしれませんが時間の経過とともに自然に離れていくことでしょう。この世にいるうちに正しい死生観を持っておくことが死後の生活においていかに大切かということを他界した人たちは感じていると思います。

    私のブログ更新もゆっくりとしたものですが関心を持ってくださる人がいるということは本当にうれしいことです。またお便りください。ありがとうございました。
    大空




    > はじめまして。
    >
    > 半年ほど前から竹本昌三さんのサイトから飛んできて、ずっと拝見させて頂いております。
    >
    > こういったお話にはとても興味(と言えば軽々しく聞こえますが決してそうではありません。)があり、前作?!の「いのちの波動」も含めてとてもわかりやすい内容だと思います。
    >
    > 自分の死後についても、これから先の生きていく意味や過去の反省も踏まえて、自問自答しております。
    >
    > つい最近主人の弟(享年43歳)ががんのため他界しました。
    > 私と同い年です。
    > 一番下の子が2歳です。
    >
    > まだ49日には達しておりませんので、おそらく今は幽界にいるのではないかと思います。
    > このブログを読んで、義弟は今どのように思っているのか・・とつい思いながらコメントさせて頂きました。
    >
    > 更新を楽しみに待ちながら、時折、過去のブログを繰り返し拝読させて頂いています。
    > お体にはお気をつけて、穏やかな日々をお過ごし下さい。
    >
    > 長文すみませんでした。
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