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    供養の儀式と霊的事実

    2013.02.03 11:01|真理を求めて
     

    49日が終わった数日後に“日のおかんき”というものが行われた。それは命日の供養ということだが丁度死後一か月経ったわけである。正月を挟んだのでこういう変則的な日程になったわけである。49日が終わっているのにまだ中陰供養の延長みたいなものをするのは変な話だが親戚なので出ないわけにはいかない。それに彼らは善良な人達なのだから。

     

    夕方供養の儀式に出かける前にふと神棚の前に行きたいと感じ、行っていつもの様に精神統一をしてその場の波長に合わせてみると再びおじさんが現れた。そして彼の長女の婿(2年前に他界)が続いて現れ私に意志を伝えてきた。それは残された妻宛のものであったが彼が直接意念を送ってきたことは死後初めての事であり、私は彼からのメッセージを便箋に書きとめて後で彼女に渡した。その内容はプライベートな事なのでここで公表しないほうがいいと思う。

     

    出かけるための準備をしているとその親戚から電話があり予定を早めたので皆来ていてもう始まっているから早く来てほしいという。そういう時私がよく感じている事はわざわざそこに行って慣例的行事をしなくても本人はここに来て現に対話しているのに……..。と思ってしまうのだがこればかりは自分にしかわからない事なので仕方がない。

     

    行ってみたらすでに行事は半分以上終わっていたがやはりおじさんが現れた。今回は何やらきょとんとした雰囲気が窺われたが、彼は皆と同じ席に座っていてその行事に参加しているようであった。アレッ、もうワシの49日の法要は終わった筈なのにこれは何だ? 私はおじさんの気持ちの中にそういうものを感じてしまったがこれは内緒にしている。

     

    葬儀をすることは次の世界への旅立ちを祝福する卒業式のようなものであり、霊的にみれば本当はそれ一回きりで十分なはずである。後で中陰供養をするといっても2回もやれば十分ではないだろうか。死後の導きは霊界主導で行われるので未熟な地上の人間が余計な事をする必要はないと私は思っている。あまり何回もやっていると相手が理解力不十分な魂の場合、混乱が生じてくるのではないだろうか。彼らは地上への執着を切ろうと努めている時期だろうから。

     

    他界者側から見れば、自分は盛大に式をして送り出されたのに地上では似たような事をまだ続けているではないか。これは一体どうなっているのだろうと思いはしないだろうか。地上から葬式後も何度も人々が集まって自分に念を向けられると気になるはずである。彼らは地上からの思念は我々が考える以上に敏感に受け取っているからである。過度の供養儀式は不要であり、あえてそういうものを繰り返さなくても他界した人たちは必要なときは何時でも家族や愛する人達の傍に来られるのである。地上界の愛する人々と彼らとの絆は儀式をするしないに関係なく続き、むしろ生前より強くなっているのである。


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