04 | 2017/05 | 06
    - 1 2 3 4 5 6
    7 8 9 10 11 12 13
    14 15 16 17 18 19 20
    21 22 23 24 25 26 27
    28 29 30 31 - - -
    最新記事

    カテゴリ

    プロフィール

    大空澄人

    Author:大空澄人
    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

    リンク

    最新コメント

    メール宛先

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム

    カウンター

    因襲の世界

    2013.02.11 16:59|真理を求めて
    P1030305.jpg 

    相変わらずこの地域では葬儀が多いが、葬儀に行くたびに自分の中にある日常意識とは別の意識というものが拒否反応を起こしてくるのを感じるようになってきた。因習だけの儀式はもううんざりなのである。霊的事実とそこに行われている事の乖離の大きさがある種の不快さとして感じられてしまう。僧侶の読経を聞く度また聞かされるのかと思ってしまう。バンバンとシンバルを鳴らすのも耳障りであり霊的交流とは無縁の世界である。私は彼らの読経を聞いているうちに体がしんしんと冷えてきたので中座して式場から出てしまった。地区の役員をやっている頃、よく葬儀の手伝いをして式場のことは勝手を知っている。

     

    お経の内容と今あちらの世に旅立とうとしている人の環境とは何の関連性もない。唯、古くからやってきたのでやっているというだけのこと。彼らはそのことに疑問を感じることはないのだろうか? 少しは霊的真理を勉強したらどうなのか。その引導儀式とやらをして1時間で30万円もの布施料を取る。しかもその寺は各家ごとに違う料金の“布施料のお知らせ”という文書を配布していることが発覚している。それでもこの辺の人達は怒らない。“破れ鍋に綴じ蓋”という言葉がまさに当てはまる。私はとうに檀家を離脱しているので直接関係はないがこの辺の人達の精神構造は理解しがたい。その寺は以前にもましてあこぎな事をやっているのだが。

     

    また葬儀があるたびに香典を包まなければならない。そして49日や一周忌などがあるたびにそれが続く。仕事を辞めた今では収入源はスズメの涙の国民年金のみ、交際費はバカにならないのである。葬儀があるという話を聞くたびうんざりしてくる。何で人がこの世を卒業してあちらに旅立つ時に金ばかり出さなければならないのか。

     

    ともあれ少しばかり霊的感性のある人間にとってはそこで行われている内容の意味が普通の人よりは深く洞察できる。何という空しいことをしているのかと思うが殆どの人達にはそれは見えない。それが今の私のジレンマなのだが、我慢することの修業をしていると思う事にしている。

    私はあの喪服というものが嫌いで葬儀や通夜は仕方ないが49日やそれ以後の行事は私服で通す。時々数珠も忘れる。教本を見て読経をすると他界者からの通信はぱたりと止まってしまうので通信を聞きたい時は読経はしない。

     

    世間では仏式の葬儀が最も多いと思うが列席者は仏教のこと等殆ど分かっていない。唯、慣習の通りにしているだけでそれを仏教を実践する事だと思っている。しきたりに通じることが宗教的であると勘違いをしている人が多い。本当に仏教を実践している者は宗教者を含めて極めて少ないと思う。一般大衆よりもむしろ宗教者の方が物欲に捉われて物質的な生き方をしているのだが当人にその自覚はなく周囲も無頓着である。

     

    ここしばらくは確定申告の作業に追われこのブログの更新も出来なくなっていたがようやく峠を越した。去年2か月しか仕事をしていないのに確定申告しなければいけないのも辛いがやらないと今後の為には何かと不利である。書類を探したり電卓を叩くのは好きではないがこれも物質世界の宿命である。そんなことをしなくていい他界した人たちは実はうらやましい環境にいるのに地上の人間は死を極端に恐れる。上にあげたような因習に縛られ真理を見出せないでいるのを見るのはとても悲しい。

    コメント

    非公開コメント