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    檀家制度は終わった

    2013.02.16 14:52|真理を求めて
     

    この地域の現状を見るにつけ仏教は葬式仏教という以外に表現のしようのない状態になっている。人々は葬式以外、寺は必要がないのである。檀家と寺との関係は約300年ほど前に檀家制度が出来てからは檀家の者と寺が互いに助け合って寺院を維持してきたという。そこにおいては寺は仏教の教えを学んだり地域の文化的交流の場になってきたのであろう。しかし今では誰も寺に寄り付かない。この地域の状況はかなり極端かもしれないが他にもそういうところはあるだろう。

     

    すでに檀家制度は崩壊しているのである。もし人々が本気で仏教の教えを学びたいと思うなら自由にどこにでも行くことが出来るので、何も気に入らない地元の寺に行く必要はない。寺の方ももし本気で仏教を学びたいなどという人間が訪ねてきたら戸惑うに違いない。何故なら寺自身が少しも仏教を実践していないからである。下手に説教などすると自分が悟っていないことがばれてしまう。真摯に真理を追究している人間には誤魔化しは通用しない。

     

    どこにでも法話をする僧侶はいるがよく聞いてみると必ず一つのパターンがあることに気が付くだろう。「お釈迦様はこう言いました。お大師様はこう言いました」というセリフは多分最もポピュラーなものだろう。しかし自分の考えで「こうです。真理はこうなっているのです」というセリフは聞いたことがない。自分に本当に確信があるなら誰かの受け売りではなく自然に自分自身の言葉として現れてくるはずである。自分の言葉で言わないのは確信が持てないという事と、他人の言葉を受け売りする事でもし間違っていても自分の責任にはならないという逃げの姿勢が見て取れる。

     

    仏教関係の書物を見ると、乱れた世を立て直すには「今こそ仏教に還るべき」などという言葉を見かけるが肝心の仏の弟子であるべき僧侶が少しも仏の教えを実践していないし、むしろ真実の教えを邪魔しているのだからどうしようもない。仏像、教本、衣、伽藍その他の装飾物は唯のシンボルにすぎない。人間は自身の中に神を宿しているのだからそんなものは必要がないのである。


    自分の神性を見出し人生体験の中で表現していく事こそが人がこの世に生まれてきた目的であろう。単純に言って「自分以外の誰かの為に尽くす事」。それが仏教に限らず全ての宗教の根本であるはずである。

    コメント

     はじめまして。
     大空さんのブログ更新を心待ちにする者です。
     大空さんのような特殊能力が私には無いので、現実生活に流されそうな自分を、大空さんのブログを拝見して真理を確認しつつ、反省するきっかけにしております。
     私も以前から仏教のあり方には、違和感や疑問を感じていました。
    壇寺の、高級車、高級犬所有などぜいたくな暮らし。月命日の日付も間違えるいいかげんなスケジュール管理。法事での説話直後の直会で、ベンツや行きつけのホステスの品定めの話をする住職の下品さ。檀家一軒当たり110万円を要求して建てた4億円の本堂と庫裏。人の道を説く人は、自ら人の道を実践すべきであるのに、あまりにかけ離れた実態。
     門徒は門徒で、寺の人は生まれつき格が我々より上だとのたまうバカげた認識。
     悶々としながら定期的に訪れる法恩講の当番をこなしていた10年前、偶然ここのブロクに書かれていることと同じ宇宙の真理、神仏の本当の意味、供養のあり方を知ったのです。 そのため、私の心は、急速に仏教から離れていき、6年前とうとう檀家をやめました。
     直接のきっかけは、本山からの屋根葺き替えに要する檀家一軒当たり2万円の布施の要求です。金額が問題なのではありません。本山への、毎年の法恩講による地方の壇寺からの、やくざと変わらない集金システムによる上納金。所得税、固定資産税の免除。所蔵する国宝級の美術品。これらの莫大な財産を所有するにもかかわらず、末端の檀家にまで金額を指定して布施を要求するあさましさ。ほとほといやになりました。
     壇寺を通じた人間関係は、地域の人間関係と重複しており、檀家をやめることは、地域の人間関係からも外れることになります。しかし、私には、もう我慢ができませんでした。真理を知りながら孤立を恐れて周りに迎合する生き方が。 そして、距離をおいて新たに見えてきたこともあります。
     それにしても、これだけ科学や技術が発達したのに、なぜ人間の意識は、容易に進化しないのでしょうか。いったいいつになったら周りの人は、目覚めるのでしょうか。(長々と書き、申し訳ありません。) 

    ありがとうございます。まさに同感です!
    これから数日間家を留守にしますので帰ってからお便り差し上げます。
    大空

    Re: タイトルなし

    「天使リダ今日もありがとう」様

    お待たせして申し訳ありませんでした。人が真理に目覚める時期というものは大体において決められているような気がします。その時期が来るまでは目覚めることはありません。また大勢の人を集めて一度に感化するなどということも出来ません。あくまでも一人一人がそれぞれの霊的進化のレベルに応じて覚醒していくのだろうと思っています。その時期が来るまでは自分の霊的意識は居眠りをしているのです。

    真理に目覚めた者はそれを実践しなければいけません。真実を知りながら自分をごまかして周囲に合わせるような生き方をしていては後でそれを精算しなければならなくなります。この世で出来なければ後の世でということにもなりかねません。真理に目覚めるということは人生の大目標であり、宗教組織のしがらみに束縛されている人たちは哀れな人達なのです。住職も檀家(門人)も焦点がずれているのです。特に宗教人は物質の目ではなく霊の目で物事を見ることが出来なければいけません。

    どうか今後もご自身の霊の声(良心の声)に従い人生を真っ当されるよう祈っております。
    最後に私の父やその他のメッセージを添付させて頂きたいと思います。

    目を開くこと(旧ページ、”死後の世界”の43番)
    http://ww81.tiki.ne.jp/~okwhiro/C9_43.htm#43

    霊的成長の階段(旧ページ、”インスピレーション”の40番)
    http://ww81.tiki.ne.jp/~okwhiro/C11_2.htm

    大空

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