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    シルバーコード

    2013.03.09 16:41|真理を求めて
     

    急激に気温が上がり、花粉と黄砂と最近のPM2.5とかいう中国からの微粒子が飛び交う中、私は介護施設に入所中の実母を高松市に見舞いに行った。私は生後6か月で彼女の姉夫婦である今の家に養子に来たので、これまで実母を叔母と呼び養母を母と呼んできた。ここ数日気候の変わり目のせいかメニエールの状態は芳しくなく、その前夜は凄まじい耳鳴りが朝まで続いていた。目眩もあるがそれにはかなり慣れている。とはいうものの道中のフェリーのなかで目眩の特効薬を飲んだ。田舎では刺激が少ないが、都市部に出ると行きかう車や大勢の人の動きが一層目眩を誘発しやすいからである。

     

    東京から飛行機で来る姉とほぼ同じ時間に施設で合流した。そこで見た叔母(実母)はもうすでに霊が肉体から去りつつあるように感じられた。食欲は肉体をこの世で存続させる最も基本的な機能であり、最後は食欲も尽きてやがて肉体が枯れて霊は肉体を去り非物質の次元で生活するようになる。それが自然の生命の営みであろう。叔母はまだ食欲は持続しているがそれも身体状況の変化に応じて変動するものである。昔から食べなくなったら終わりとよく言われてきたがその通りだろう。食べられなくなった人を点滴で人工栄養で生かしたり、胃ろうを施して食べ物を流し込むようなことは自然の法則に逆らうことであり当人を苦しめるだけなのである。もう早くこの世を去って安楽なところに行きたいのに、それを無理に引き留めることになるからである。

     

    叔母の寝ている横で姉ともそういう話をして、終末医療は拒否しようということになった。叔母は意識はぼんやりしているけどその話を聞いて少し理解しているかもしれない。個人差はあると思うが裏では霊としての意識が少しずつ目覚めて来ているはずなので何も感知しないということはないと思う。クリアーではないがぼんやりと理解しているのではないかと思う。だから当人は認知症だから何もわかっていないと思って悪口などは言わない方がよい。私と姉は叔母の横で「もう本当はあちらの世に行きたいのに肉体に束縛されているから行けないんだね」という話もした。

     

    人が死期が近づくと霊体と肉体を繋いでいるシルバーコードが次第に切れかかってくる。大きなものが2本あり一つは額のところ(アジナチャクラと呼ばれる)、もう一つがみぞおち(太陽神経叢)のところである。いわゆる認知症は脳が機能低下を起こして額のところのシルバーコードが役に立たなくなった状態らしい。霊の指令を脳が正しく受信できなくなってくるのでシルバーコードが意味を為さなくなりやがて切れる。シルバーコードを通じて霊的エネルギーが流入するので肉体が生きていられるわけだが肉体(脳)が機能マヒになると霊的エネルギーがストップしてしまうから人間は本能的欲求以外の事を表現出来なくなってしまう。

     

    頭のシルバーコードが切れてもみぞおちのシルバーコードが繋がっていれば肉体はまだ生存に必要な最小限の機能を維持する。頭とみぞおちの2本が同時に切れれば理想的な死に方になるということだが、最近は必要以上に高カロリーの食べ物を与えてしまうので何時までたっても肉体が枯れて来ない。それが自然な死というものを妨げているのかもしれないし、認知症多発の原因になっているのかもしれない。だからいたずらに平均寿命が延びたなどと喜ぶことではないと思う。


    姉は最近3年前に他界した父(私にとっては叔父で今まで度々霊界通信に登場してきた人)がこの世とあちらの世の境界なしにいつでも身近にいるように感じるようになってきたらしい。また彼女は死ぬことは少しも怖くなく、いつ死んでもいいと言うがそれは私も同感である。兄弟で霊的真理を実践しているということなのかもしれない。

     

    彼女は旅行好きで彼女の父が危篤状態の時に海外に行っていて、親族の者は姉が葬儀に間に合うか心配していたらしいが彼が死ぬ数時間前に病院に現れちゃんと最期を看取っている。父は姉が来るのを待って息を引き取ったということになるが世間でよくある話である。事実そうであろう。


    これなどもやはり法則が働いているといってもいいかもしれない。霊界ではあらゆる要素を考慮に入れて迎え入れる準備をしていることだろうから。

     

    葬儀は身内だけで、坊主はいらない、静かなクラシックの音楽を流して子供や孫が(希望者のみ)一人ずつメッセージを朗読して最後に皆で「千の風になって」を歌う(これは今私が思いついた事)なんていうのはどうだろう。もし読経が必要と思うなら出来るし妻は御詠歌のエキスパートなので魂に訴える詠歌を唱えることが出来る。霊の世界に通じていない僧侶が来て儀式をして何十万円も布施料を払うなんて馬鹿げているよ。姉とそういう話をした。どういう形の葬儀になるかは長兄が一家の責任者なので彼の判断次第である。

     

    96歳の叔母がこの世にいるのも長くはないであろう。本人は叔父の待つあちらの世に行きたがっているようだ。4人の子供を産み(私も含めて)愛の心で育ててくれた叔母。この世の役割も全て果たして後はあちらへ引っ越すだけ、安らかに導かれて旅立ってくれるよう祈っています。






    追伸
    旧「いのちの波動」のインスピレーションのカテゴリーの101番脳は受信機 と102番の老人と認知症は霊的にどのようなことが起きているのかを言及し上のコラムを補足したものになっています。

    叔母は姉が4人の子供たちの名前を一人ずつ読み上げるとそれぞれに対して反応していました。姉はソプラノ歌手なので声がよく通り、難聴の人(今や私も少しばかり)にとって聴き取りやすいのです。

    子供や配偶者の名前は最も本人の記憶に刻み込まれているので(恐らく潜在意識のレベルにまで)反応しやすいのでしょう。潜在意識と言えばユングの名前が出てくるかもしれませんが、無意識に反応するようなレベルのものは長年の生活で潜在意識に蓄積されたものではないかと感じています。

    コメント

    いつもコメントのお返事、ありがとうございます。

    親戚のおじいさんで、もう5年以上、植物人間状態で、90歳を越えた人がいます。
    これもまた、しんどいことではないかと思っていましたが、やはりそうなのですね。

    息子のように若くして亡くなることも、とても長生きして亡くなることも、それぞれに、学びがあるということでしょうか。

    いずれにしても、死は、この世の私たちが考えるような、忌み嫌うようなものではないのではないかと、少しずつ思えてきました。


    通夜、葬儀、四十九日と、15分か20分の読経で、高額なお布施を僧侶の方に渡すのは、私
    も、疑問に思ってました。
    固定観念やしがらみから、どこまで自由になれるか、でしょうか。









    ゆきこさん
    コメント楽しみにしています。どうぞ遠慮なさらずに。
    そうですね。本人はもういい加減であちらに行きたいと思うのに肉体が
    いつまでも生き永らえているのでそれに付き合わなければならないということ
    なのでしょう。でもさほど苦痛を感じているわけではないと思います。
    永遠の人生の中ではわずかの時間でありそれなりに意味があるのでしょう。

    多くの人が迷信に束縛されて余計なお金を取られていると思います。
    しかし本当に理解が出来るまではその人にとってはそのほうが楽なのです。
    理解が出来ていないのに無理にそういうものを捨ててしまうと後で世間を気にしたり
    悔やんだりむしろ苦痛として感じるかもしれません。

    本当に理解が出来ていれば、そういうしがらみを捨て去ることが出来た喜びや爽快感として
    感じられると思います。私の地域では迷信にがんじがらめになっている人ばかりです。
    哀れに感じますが本当にわかるまでは無理なのです。

    大空
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